「順調なはずなのに、なぜか幸せを感じられない」

そんな気持ちを、誰にも言えずに抱えていませんか。
今日は、彩石屋に長く通ってくださったあるお客様の実話を、ご本人の許可をいただいた当時の対談をもとに、前編・後編に分けてお届けします。

「ザ・幸せ」の階段

その方は、絵に描いたように順調な人生を歩んでこられました。

いい学校に入り、いい会社に就職して、いい人と結婚する。それが幸せ——というのがご両親の考えで、その階段を一段も踏み外さずに登ってきた方でした。

職場では責任ある立場につき、家庭には優しいパートナー。まわりから見れば「ザ・幸せ」です。

でもご本人は、こうふり返ります。
「私は幸せではなかったんです。ずっと、『ザ・幸せ』のかたちに自分を合わせてきただけだったから」

違和感は、わがままではない

気づけば、自分がしたくないことを続けていることにも気づけないまま、仕事に命を捧げるような毎日になっていたそうです。

恵まれているはずなのに苦しい。そう感じると、人は「贅沢な悩みだ」と自分を責めてしまいます。

でも、その違和感はわがままではありません。
借りもののかたちに自分を押し込めているとき、心は小さな悲鳴を上げます。それを聞き取れたことが、変化のはじまりでした。

お店でしていたのは、特別なことではありません

その方は知人の紹介で彩石屋に出会い、月に1度ほど、ふらっと立ち寄ってくださるようになりました。

「私に合わせたものを作ってください」とだけ言って、具体的なお悩みを話されないことも多かった。それでも、表情や言葉の端々から、無理を重ねているのは伝わってきます。

店主は、気持ちを静める色とされてきた紫の石などを選びながら、いつもこう考えていたそうです。

「外から助言することはできる。でも、別の道は結局、自分で見つけるしかない。私がお手伝いできるのはここまで」

石は答えをくれません。けれど、手元のお守りにふれるたびに「本当はどうしたい?」と自分に問い直す、その合図にはなれるのです。

まとめ——階段は、降りてもいい

ある日その方は、「もう辞めよう」と、ふっと思えた瞬間が来たと言います。

長い時間をかけて積み上がった違和感が、自分の言葉になった瞬間でした。

誰かが用意した階段を登りきることだけが、人生ではありません。途中で降りても、別の山に登り直しても、道はいくらでも続いていきます。

降りたあとに何が起きたのかは、後編でお話しします。