「誰もわかってくれない」。こんなに大変なのに、誰もこのしんどさを察してくれない——。
そんな思いを抱えて、心も身体も重い日々を過ごしていませんか。

実はこれ、昔の私が抱いていた思いそのものです。今日は、その重さがほどけていった転機のお話をさせてください。

「わかってほしい」が、心を重くしていた

当時の私は、わかってほしくて、「しんどいね」と言ってほしくて仕方ありませんでした。

ところが、そう言ってくれる人が現れても、ホッとするどころか「やっぱり私は大変なんだ」と再確認して、自分の思いをますます重くしていたのです。私は間違ってない、と。

わかってもらえないときには、人生の終わりかと思うほど心が壊れそうになる。
いま思えば、あのころの私は、ずいぶん暗い顔をしていたはずです。

自分の感情は、自分だけのもの

誰もわかってくれない——それは、考えてみれば当たり前のことでした。

自分の感情は、自分だけのものだから。どれほど苦しくても、自分の感情の代わりを務めてくれる人はいません。

本当の困難や苦しみは、その人の立場にならなければわからないもの。
わからないことを「わかってよ」「察してよ」と求めるのは、自分よがりだったのだと、いまなら思います。

向き合うと、いったん苦しくなる

私はもうあんな思いをしたくなかったので、えいっと気合いを入れて向き合いました。誰でもなく、自分に。

正直に言うと、向き合ってしばらくは、たとえようもなく苦しくなります。私は食事がのどを通らなくなるほどでした。

それでも、とことん向き合うと、あるとき、ぱかっと心が開かれる瞬間がやってきます。そこまでいけば、だいぶ楽になります。

心が開くと、許せることが増えていく

心が少し開くと、ほかの考えを入れる隙間ができて、自分だけのかた〜い思考が減っていきます。

すると、少しずつ、ほんの少しずつですが、いろいろなことを許せるようになっていきました。

そう——私は、周りのいろいろなことが許せなかったのです。
許せないということは、自分の「正しい」が強いということ。その「正しい」をゆるめるのは並大抵のことではありませんが、当時の私は切羽詰まっていたからこそ、なんとかできたのだと思います。

自分で自分をわかってあげる

わかってもらおうと思うのをやめると、本当に楽になります。

「わかって、わかって」の力みは、要らないものでした。
周りに癒してもらおうとするのではなく、自分で自分をわかってあげて、自分で自分を癒す。それで十分だったのです。

とはいえ、人は忘れて戻る生き物。気づいても、調子に乗っては忘れ、戻り、苦しみ、また気づく——その繰り返しでかまいません。気づくこと自体が、何より大事な第一歩です。

お守りとしての石

彩石屋では、「心の扉を開きたい」「自分の足で立ちたい」というときのお守りとして、石をご紹介してきました。

石が何かを変えてくれるわけではありません。
ただ、手元の石が目に入るたび、「いま、わかってほしがっていないかな」と自分に聞き直す合図になってくれます。

まとめ——重い心は、自分でほどける

「誰もわかってくれない」と感じる夜は、誰にでもあります。それはあなたが弱いからではありません。

ただ、その重さをほどく鍵は、外ではなく自分の手の中にあります。
自分で自分をわかってあげられたとき、進める道はひとつではなかったことに、きっと気づくはずです。いつかではなく、今日、小さく動いてみてください。