「なぜこうなったの」「なぜ自分がこんな目に」。
つらい出来事の前で、この問いがぐるぐる回って止まらなくなることがあります。
今日は、その場所から一歩進むための「受け入れる」というお話を、わたし自身の体験とともにさせてください。

「受け入れる」が、分からなかった頃

以前のわたしは、「受け入れることが大事」と頭では知っていても、その意味が分かりませんでした。

なぜなら、あれこれ「頭」で理解しようとしていたから。
心がついてこないまま理屈だけこねていたので、かえって心の流れが滞っていたのだと、今は思います。

小さなサインを、見ないふりしていると

ふり返ると、大きな出来事の前には、たいてい小さなサインが出ていました。

なのに、見たくないからと目を閉じ、耳をふさぎ、何もなかったかのように知らんぷり。
サインを見落とし続けると、「これでも気づかないの?」と言わんばかりの、衝撃の大きな出来事がやってくるものです。

目の前にあることをないものとして、「こうだったらいいなぁ」という理想だけを眺めていても、その先は描けません。
目の前の問題を受け入れずに、前へ進むことはできないのです。

悲しみは、味わい尽くしていい

とはいえ、つらいときに「被害者のような気持ち」になるのは、自然なことです。

悲しい。つらい。その感情が悪いわけではありません。
中途半端にふたをするより、どっぷり浸って「味わい尽くす」方が、かえってよいくらいです。

味わい尽くしたあとに、自分に聞いてみてください。
まだそこにいたいか。それとも、そこから抜け出したいか。

抜け出したいと心から願うなら、小さくても行動が伴うはずです。
「抜け出したいのに抜け出せない」ときは、まだ何の行動も取れていないだけかもしれません。

自分の名前を、受け入れた日

お恥ずかしい話ですが、わたしは長いあいだ、自分の名前を受け入れていなかったのだと思います。

ある日「これではダメだ」と気づいて、自分の名前を受け入れようと決めました。
それは、自分の人生を自分で生きようと決めたような感覚でした。

そうしたら、流れが変わったのです。確実に。

名前は、生まれて初めて親からもらった贈り物。
受け入れたとき、そこに込められていたものへの感謝が、ようやく自分の中に流れ込んできました。

まとめ——決めて、動く。道はそこから増えていく

感情を味わい尽くしたら、選ぶのはあなたです。
その感情を手放して次へ行くのか、もう少しそこにいるのか。どちらを選んでも、間違いではありません。

ただ、受け入れることができて初めて進める世界が、確かにあります。
迷ったら、小さくでも動いてみる。失敗してもそこから学べばいい。受け入れた人の前に、道は次々と現れてくれます。