いま、出口の見えない場所にいる方へ。
今日は、彩石屋を始める前のわたし自身の話を書かせてください。
こんな人間がここにいるのだと知って、すこしでも光を感じてもらえたらと思います。
アパレルの店頭で見つけた、わたしの原点
彩石屋を始める前、わたしはアパレルの店頭でアドバイザーをしていました。
流行りのものをすすめるのではなく、お客様の内側から出ている魅力を引き出すお手伝い。
すこし会話をするだけで、この方はこんな色を素敵に着こなせるはず、と感じ取ってお伝えする毎日が、楽しくて仕方ありませんでした。
仕事には関係のない、おせっかいもしていました。
いつもと感じが違うなと思ったら、聞かずにいられない性格で、恋愛相談や身の上話をうかがうこともしばしば。
お話のあとのお客様の顔が、探しものが見つかったように明るくなっている。
振り返れば、あれがわたしの原点でした。
家庭で起きていたこと
そんなわたしの家庭は、決して平穏ではありませんでした。
身体の弱かった母は、あるとき信仰の世界にのめり込み、心が家庭から離れてしまいました。
小学生のわたしが朝食を用意し、兄を起こす毎日。母という存在がどれほど大きいか、いないことで知りました。
家族をこんな思いにさせる母が、心底憎いと思った時期もあります。
意を決して向き合った日も、どの言葉も届かず、わたしは自分の無力さを知りました。
追い打ちをかけるように、父が突然帰らなくなりました。
1週間ほどして戻った父は血の気のない顔で、「友人にだまされて借金を背負い、死に場所をさがしていた」と打ち明けたのです。
「生きていればなんでもできる」
「死のうとしたけれど、おまえたちを置いて死ぬことができなかった」
ぼろぼろになって泣く父に、わたしはこう声をかけました。
「お父さんが死ななくて良かった。死んだらなんにもならないよ。生きていれば何とかなるよ」
借金の返済で、家を手放しかけたこともあります。
それでも父とわたしの口癖は、「生きていればなんでもできる」でした。
その言葉のとおり、父は新しい生きる道を見つけ、次第にいつもの生き生きとした父に戻っていきました。
身体は、限界を知らせてくれていた
家族のことで頭がいっぱいだったわたしは、自分の身体に起きていることに鈍くなっていました。
いつからか、常におなかの痛みがつきまとい、ひどい貧血で歩くだけで息が上がる。
原因がわからないまま数か月が過ぎ、別の病院でようやく胃潰瘍とわかったときには、即入院。15歳のときでした。
我慢を続けると、心より先に身体が悲鳴をあげることがあります。
わたしがそうだったように、身体が壊れる前に、どうか誰かに助けを求めてください。
母と向き合って、見えたこと
長い冬の時代が明けて大人になったわたしは、母を恨むことをやめ、母の話を聞きにいきました。
話を聞けば、母は母なりに苦しんでいたことがわかり、ばらばらだった出来事が一本につながって見えました。
「母親ならこうあるべき」という像を押しつけ、母の居場所をなくさせていた部分も、わたしにはあったのだと思います。
人の行動には、表からは見えない理由があります。
出来事を受け止める器は人それぞれで、自分のものさしで量ることはできない——この環境が、それを教えてくれました。
人生に、意味のないことは起きない
どんなに辛いことも、理不尽なことも、時間がたって全体を眺めたとき、意味を持って見えてくることがあります。
わたしも、人生を悲観して自暴自棄になる結末を選ぶことはできました。
でも、そうしたくなかった。意地でも幸せになりたいと思いました。
そして知ったのです。幸せになる方法は、いくらでもあるのだと。
耐えがたいことが起こったとしても、その先の人生をどうするかは、あなたが決めることができます。
助けを求めれば、手を差し伸べてくれる人はきっといます。
生きてさえいれば、道は無限にあります。
人を憎まず、自分を責めすぎず、どうか希望を手放さないでください。わたしがその証明になれるよう、わたしも生きていきます。