自分で選んだはずなのに、気がつけば不平不満を言い続けている——。
仕事のこと、家庭のこと、いまいる環境のこと。誰にでも覚えのある姿だと思います。今日はすこし耳の痛い、でも大切なお話です。

人生は、自分で選んでいる

結婚も、仕事も、いまあなたがいる環境も。人生は、自分で選んだものでできています。
「自分で選んだわけじゃない」と思うことでも、その場にいること自体を選んでいる、とは言えないでしょうか。

不平不満を言い続けるのは、誰かのせいにしているから。
そして「こんなはずじゃなかった」と言うたびに、選んできた自分自身まで否定してしまうのです。

『置かれた場所で咲きなさい』が刺さった理由

渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本があります。
ベストセラーになった頃は手に取らなかったのに、ある時ふいに読みたくなりました。

理由は、はっきりしていました。
置かれた場所で、咲ききれていない自分がいたからです。

私の場合は、自分で勝手にプレッシャーをかけて、そのプレッシャーに負けそうになっていました。
それでは自分の良さは出せません。それどころか、自分の良さすら分からなくなっていました。

不平不満は、他人ではなく自分に向かう

不平不満は、他人に向けているようでいて、実は自分に浴びせている毒です。
毎日それを浴びていたら、心も身体も疲れてしまいます。

そこに気づくまで、私は相当な時間がかかりました。いまもまだ途中だと思います。
それでも、気づくか気づかないかは大きな違いです。気づいたからこそ、一歩進めた気がしています。

咲くことは、我慢することではない

置かれた場所で咲くとは、歯を食いしばって我慢することではありません。
いまある環境を当たり前と思わず、その中で自分なりに輝けるよう、一生懸命やってみることです。

いまの状況が不利かどうかは、あなた自身の心が決めます。
不利だと思えば不利の道へ。不利じゃないと思えば、そうじゃない道へ。私たちはいつでも、選び直して進んでいけます。

お守りとしての、トパーズ

このお話とともにご紹介したいのが、トパーズです。
古くから「自立」——自分の力で立つことの象徴とされてきた石です。

自力で立つとは、自分の選択に自分で責任を持つということ。
誰かに寄りかからず、地に足をつけて進みたいときの、お守りになってくれます。

まとめ——これからでも、遅くない

不平不満が口をついて出る日は、「私はいま、咲こうとしているかな」と自分に聞いてみてください。

咲き方はひとつではありません。
いまいる場所で咲くのも、咲ける場所を選び直すのも、どちらもあなたの道です。これからでも、まだまだ遅くありません。