大切な家族やペットが、ある日とつぜん元気をなくしたら。
あなたは「何をしてあげられるんだろう」と、立ち尽くしたことはありませんか。
今日は、わたしの愛犬・サブローの看病のお話をさせてください。無力さに打ちひしがれたわたしが、それでも見つけた寄り添い方のお話です。
元気に見えた子が、急に倒れた
サブローは14歳。人間でいえば、もうおじいさんの年齢です。
それでも見た目はとても元気で、若く見えるその姿のままずっといてくれると、どこかで思い込んでいました。
けれど春のある日、お散歩の途中で倒れてしまったのです。
病院で分かったのは、心臓の病気でした。心臓のまわりに水が溜まって呼吸を圧迫し、失神して倒れてしまうのだそうです。
考えたくなかった「年齢」に、向き合うときがやってきました。
悪役になってでも、できることをする
はじまったのは、薬との根くらべでした。
サブローは頭のいい子なので、ごはんに混ぜても何かを察して食べてくれません。でも、飲まないと倒れてしまう。
水に溶かして、口に直接流し込む。本当はしたくないけれど、わたしが悪役になりました。
頻繁に病院へ通い、酵素風呂にも入れました。出てきたあとの足取りがすこし軽く見えて、救われた気持ちになった日もあります。
それでも、サブローにしてみれば、訳も分からず食べたくないものを飲まされる毎日です。次第に、わたしを見ると逃げるようになってしまいました。
良かれと思ってしていることが、大好きな子を遠ざけていく。
「わたしに何ができるんだろう」と、自問自答の日々でした。
「周りは無力」と認めたとき、見えたもの
言葉が通じないから、どんな痛みや苦しみがあるのかも分かりません。
代わってあげることも、できません。
そのとき思い知ったのは、「周りは無力だ」という、シンプルで重たい事実でした。
でも、不思議なものです。無力さを認めたとたん、肩の力がすこし抜けました。
わたしの役目は、この子の病気を何とかすることではない。
回復を信じて、祈って、いまできるお世話をして、あとはこの子自身の生きる力にゆだねる。それしかないし、それでいいのだと。
無力さを認めることは、あきらめることではありません。
「何とかしてあげる」から「そばにいる」へ、寄り添い方を変えることなのです。
まとめ——信じて、ゆだねて、そばにいる
大切な存在の不調は、看病する側の心も削っていきます。
「もっとできることがあるはず」と自分を責めはじめたら、どうか思い出してください。
信じること。祈ること。受け入れること。
それは「何もしない」こととは違います。無力なままで隣にいることこそ、わたしたちに残された、いちばん確かな寄り添い方なのだと思います。
そして、寄り添い方はひとつではありません。今日うまくできなかったとしても、明日のあなたには、また別のかたちが見つかります。
生きて、そばにいるかぎり、その選択肢は無限にあるのですから。