「ちゃんとしなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」。
気がつくと、自分にばかり厳しい言葉をかけていませんか。
人には「無理しないでね」と言えるのに、自分には休むことすら許せない。
今日は、その厳しさの正体について、すこし立ち止まって考えてみたいのです。
その厳しさは、誰のためのもの?
自分に厳しくして、自分を縛りつけてしまう。
その奥にあるのは、多くの場合「人によく見られたい」という気持ちです。
本当はもっと自分に甘くしたい。
それなのに、厳しい自分を演じて、自分を締めつけてしまう。
でも、思い出してみてください。
その厳しさは、誰かに頼まれたものでしょうか。
誰も望んでいないし、誰も言っていない。
自分で自分に課した縛りであることが、ほとんどなのです。
縛りの正体は「恐怖」
では、なぜ頼まれてもいない縛りを手放せないのか。
その根っこにあるのは、恐怖です。
嫌われたらどうしよう。がっかりされたらどうしよう。ちゃんとしていない自分には、価値がないんじゃないか。
恐怖に動かされているあいだは、「本当の自分は?」と何度自分に問いかけても、答えが出ません。
恐怖というフィルター越しでは、自分の姿がちゃんと見えないからです。
逆に言えば、自分をまっすぐ見ることができたら、恐怖に逃げ込まなくても、自分の足で歩いていけます。
「人は人、自分は自分」と言いながら
「人は人、自分は自分」。
口ぐせのようにそう言っている人ほど、実はその言葉で自分を戒めようとしていることがあります。
自分と人とのあいだに健やかな境界線が引けている人は、そもそもこの言葉を必要としません。
言い聞かせなければいけないのは、まだ心のどこかで、人の評価を物差しにしている証拠かもしれないのです。
これは責められることではありません。
気づけたこと自体が、大きな一歩です。
不完全なまま、肯定する
完璧じゃなくてもいい。不完全なまま生きていていい。
大切なのは、できない自分を「ダメだ」と否定することではなく、「それでいいんだよ」と肯定してあげること。
周りからの評価ではなく、自分で自分を褒めてあげられるようになることです。
不思議なもので、いまの自分をまるごと受け入れると、思考が変わり、出会うものも変わっていきます。
受け入れるたびに恐怖は遠ざかり、恐怖が遠ざかったとき、人ははじめて本当に自分を大切にできるのだと、店頭でお客様とお話ししていても感じます。
お守りとしての、バンデッドカーネリアン
彩石屋でこのお話とともにご紹介したいのが、バンデッドカーネリアンという天然石です。
やわらかなピンクオレンジの縞模様をもつ石で、古くから心を後押しするお守りとされてきました。
諦め癖が顔を出しそうなとき、新しいことに踏み出したいとき。手元の石にふれることを、「今日は自分を否定しない」と思い出す合図にしてみてください。
厳しさをほどいた先に
自分への厳しさは、長年の癖です。今日すぐに消えなくても大丈夫。
「いま、自分に厳しくしていたな」と気づくたびに、ひとつずつ緩めていけばいい。
完璧じゃない自分のまま歩いていける道は、ひとつではありません。生きているかぎり、道は無限に拓けていきます。
あなたが、誰の評価でもなく、自分の「いいんだよ」で生きていけますように。