悩みの渦中にいるとき、世界がだんだん小さくなっていく感覚——。出口が見えない。誰にも言えない。選択肢がひとつしか、見えなくなっていく。

今日は、彩石屋の原点にもつながる「話し相手」のお話を、私の父の経験とともにお伝えさせてください。すこし重いテーマですが、最後は希望の話です。

悩むほど、世界は小さくなっていく

つらいことが重なると、人の世界は狭くなります。

「ここに行けば気持ちを切り替えられる」という場所も、「私にはこんな友達がいる」という事実さえ、思い出せなくなる。世界が小さくなると、悩みから抜け出す道筋そのものが見えなくなってしまうのです。

そして、助けの呼び方がわからなくなります。
「迷惑をかけたくない」という優しさや、弱音を見せられないプライドが、口をふさいでしまう。

けれど本当は、言えないまま抱え込むことこそが、いちばん自分を追いつめてしまいます。あなたが弱いからでは、ありません。誰の心にも起こりうることです。

父が、帰ってきた日

私の父は昔、床屋を営んでいました。到底返せない額の借金を抱え、「これをどうやって返すのか」と思いつめ、自ら命を絶とうと家を出て、行方がわからなくなったことがあります。

それでも父は、帰ってきました。
あとになって「どうしてやめたの」と聞くと、「お前たちを残していくのは、ダメだと思った」と。家族のことが、ぎりぎりのところで父を引き戻したのです。

その父が、のちに偶然出会ったのが酵素風呂でした。父はそれを仕事として始め、いまは私が継いでいます。あのとき父の人生が途切れていたら、この仕事も、いまの私の人生も、何ひとつ存在していません。

希望の置き場所は、ひとつでは足りない

以前、ある討論番組で「人生の楽しさは、自分ひとりが楽しむことではなく、誰かに何かを手渡せていると感じられること」という趣旨の言葉に出会い、深くうなずいたことがあります。

家族のため「だけ」を支えに生きていると、そこが揺らいだとき、心ごと崩れてしまいかねません。頑張れる理由は、ひとつではなく、いくつも必要なのだと思います。

家族、友人、仕事、好きなこと、そして自分の力で誰かと、社会とつながっている感覚。希望の置き場所が多いほど、ひとつが崩れても、立っていられます。

自分と違う生き方の人と、話してみる

世界が狭くなったとき、すすめたいのは「自分とまったく違う生き方をしている人」と話すことです。

同調してくれる人ではなく、自分には想像もつかない考え方で生きている人。その話を聞くだけで、人生に対する見方が大きく揺さぶられ、閉じていた枠の外に光が差します。

ただし、それが心に入ってくるのは、「あれ、なにかおかしいな」と自分の現状に疑問を持ち、自分から求めたとき。枠が固まったままだと、「なんか違う」と弾いてしまうのです。

どん底は、上がるしかない場所

私自身も、どん底を何度か経験してきました。そのたびに思ったのは、「これ以上、下はない。なら、もう上がるしかない」ということです。

そして、できることをひとつずつやる。それだけでした。

つらい経験を傷のままにするか、糧に変えていくか。それは、あとからゆっくり選び直せます。いま渦中にいる方は、選べなくてかまいません。まずは、生きて、誰かに話すこと。それだけで十分です。

話すことから、道はひらける

彩石屋の原点は、「人には話し相手が必要だ」という実感です。ずっと父の話し相手だった私が、15歳のころに「人の相談に乗れる人になりたい」と思ったところから、この店は始まっています。

世界が小さくなったと感じたら、どうかひとりで抱え込まないでください。話せる相手がひとり見つかるだけで、見えなくなっていた選択肢が、ひとつ、またひとつと戻ってきます。

父の人生がそうだったように、続いてさえいれば、道は思いもよらない場所へ枝を伸ばしていくのです。