大切な人が頑張っているとき、苦しんでいるとき。
「何かしてあげたい」のに、してあげられることが見つからなくて、もどかしくなることはありませんか。

今日は、わたしが赤ちゃんをお腹に授かったときに教わった、「信じて見守る」というお話です。

「してあげられること」が、見つからない

赤ちゃんがお腹にやって来たとき、わたしは当然、「この子のために何ができるだろう」と考えました。

ところが、しばらくして気づいたのです。

「もう、私にできることって、ないじゃん」

母親のわたしが手を出すまでもなく、この子はもう、自分の力でお腹の中にしっかり根を張っていました。
生きるための本能を、ちゃんと自分で発揮している。動かなくてはいけないのは、わたしではなく、この子自身だったのです。

何かをしてあげられると思っていたのは、大きな勘違いでした。

生きる力は、誰も代われない

わたしには、店でよくお伝えしてきた言葉があります。

人に何かをしてあげようと思っても、周りは大したことはやってあげられない。

赤ちゃんを迎えて、この言葉をさらに痛感しました。
お腹の中にいるときからそうなのですから、生まれてから、ましてや大人になった誰かに対して「私が何とかしてあげられる」と思うのは、思い上がりなのかもしれません。

生きる力だけは、どんなに愛していても、誰も代わりになれないのです。

「信じる」は、何もしないことではない

では、まったくの無力なのかというと、そうではありません。

できないからこそ、「それでも何ができるか」を探るのです。
わたしの場合は、こんな小さなことでした。

  • - 栄養のあるものを食べる
  • - お水をしっかり飲む
  • - よく寝る
  • - ストレスを溜めない

繋がっているからこそ、土台を整えることはできる。
そして、あとはこの子の生きる力を信じる。それだけです。

不安になる夜もありました。それでも「この子の力を信じる」と決めていたから、深く考えすぎずに待つことができました。

見守ることは、いちばん深い味方のかたち

これは、赤ちゃんに限ったお話ではないと思うのです。

家族が、友人が、大切な人が壁の前に立っているとき。
あなたにできるのは、代わりに生きてあげることではなく、温かいごはんや、安心して眠れる場所や、「信じているよ」というまなざし——つまり土台を整えて、見守ることです。

それは冷たさではなく、相手の力を信じ抜くという、いちばん深い味方のかたち。

あなたが信じて見守った人は、自分の足で、自分の道を見つけていきます。
その道が一本ふさがれたとしても、生きてさえいれば、次の道は何度でもひらけるのですから。