「あの人をサポートしなきゃ」

そう思って自分の時間を削ったり、頼まれてもいないのに気を回したり。
家族のため、友人のため、職場のため——気づけば自分のことはいつも二の次。もしそうなら、今日は私自身の苦い経験からお話しさせてください。

行動の基準が「家族」だった頃

私には、親のゴタゴタに人生を埋め尽くされていた時代があります。

環境に自分を合わせないと生きていけなかったので、行動の基準はいつも「家族」でした。身近な人が悲しまないように、頭の中はそれでいっぱい。
当時は、それが良いことだと信じていました。

そこから抜け出す決意をして、きっぱり切り離したとき、渦中ではまったく気づかなかったことが、どんどん明らかになっていったのです。

私は、自分にできる最低限のことを、はるかに超えてやり過ぎていました
学業そっちのけでアルバイト漬けになったり、兄弟を守ろうと必死になったり。良かれと思った手助けが、いつの間にか自己犠牲になっていたのです。

手助けは、やり過ぎると力を奪う

人を助けるバランスは、本当に難しいものです。

やり過ぎた手助けは、相手がその出来事を自分で乗り越える力を、削いでしまうことがあります。
良かれと思った分だけ、相手の足腰を弱らせてしまう。これが自己犠牲のいちばん切ないところです。

over・enough・underで点検する

そこで、手助けを3つの目盛りで点検してみてください。

  • - over……やり過ぎ
  • - enough……ちょうど良い
  • - under……足りていない

対人関係がうまくいかないとき、原因はたいてい「やり過ぎ」か「足りていない」のどちらかです。

やり過ぎには、3つの型があります。
相手が求める以上にやってしまう型。相手が求めていないのに、勝手にやってしまう型。そして、やる必要がないのに、自ら使命感を持ってやってしまう型。

私は3つめの型でした。家族に対して始まったその癖は、恋愛でも友人でも仕事でも、同じように顔を出しました。

プライベートでできないことは、外でもできない

ここが今日いちばんお伝えしたいことです。

身近な人との間でできないことは、外の世界に出てもできません。

家族との間で「やり過ぎない」を選べない人は、職場でも、友人関係でも、やり過ぎてしまう。そしてその癖は、いちばん近い対人関係——恋愛や結婚に、最後に表れてくるのです。

「私は何を犠牲にしている?」

全部を一度になんとかしようとしなくて大丈夫です。
まずは、「私はいま、何を犠牲にしているかな?」と、少し考えてみてください。

自分を犠牲にしない感覚が身についてくると、不思議なもので、「この人に関わると私は自分を削ってしまうな」という相手のことも、はっきり見分けられるようになります。

優しさは、自分を含めて配る

あなたの優しさは、削って差し出さなくても価値があります。

手助けの目盛りをenoughに戻し、浮いた時間と力を自分にも配る。
そこから先の人間関係は、いくらでも結び直せます。優しいあなたが自分を取り戻す道は、今日からでも、何本でも開いています。