「人のためにやっているのに、どうしてわかってもらえないんだろう」
家族のため、職場のため、友人のため。一生懸命動いているのに、なぜか苦しい。感謝もされない。そんなモヤモヤを抱えて店にいらっしゃる方は、少なくありません。
「人のために」が、苦しさを連れてくるとき
「人のために」は、本来とてもあたたかい言葉です。
それなのに苦しくなるとしたら、いったん立ち止まって、自分の心に聞いてみるタイミングかもしれません。わたしは本当に、その人のためだけに動いているだろうか、と。
言葉が「隠れ蓑」になっていないか
ふたを開けてみると、「人のために」の奥に、別の本心が隠れていることがあります。
認められたい。嫌われたくない。自分の不安から目をそらしていたい。
それ自体は、責められることではありません。誰の心にもあるものです。ただ、本心を「人のために」という言葉で包んだままにしておくと、行き先のないしんどさが少しずつ積もっていきます。
相手のためのはずが、見返りが返ってこないことに傷つく。よかれと思った言動が、なぜか人を遠ざける。そんなサインが出ていたら、言葉が隠れ蓑になっているのかもしれません。
すこし引いた場所から、眺めてみる
そんなとき役に立つのが、自分の内側を静かに見る時間です。むずかしいことではありません。
- - 「わたしはいま、何がうれしい?」と自分に聞いてみる
- - 浮かんだ答えを、良い悪いで裁かずに書きとめる
- - 「〜のために」と言いたくなったら、「本当は?」と一度だけ問い直す
「どうしてこの状況になったんだろう」と一歩引いて眺めてみると、感情の渦の中では見えなかった自分の本心が、輪郭を持ちはじめます。これも自己理解のひとつです。
順番は、自分が先でいい
自分の喜びをちゃんと知っていて、自分で自分を満たせる人は、見返りを求めずに人へ手を差し出せます。
「人のために」が、隠れ蓑ではなく本当の贈り物になるのは、それからです。
わがままに聞こえるかもしれませんが、むしろ逆です。空っぽの器からは、何も注げないのですから。
あなただけの喜びから始める
今日、ほんの数分でいいので、「わたしの喜びは何だろう」と自分に聞いてみてください。
その答えがひとつ見つかるたびに、あなたの足元は確かになります。そして自分が満ちた先には、人のために心から動ける日も、人と健やかにつながる道も、いくらでも開けていきます。