「どうせわたしの人生なんて」。そんな言葉が口をついて出る夜はありませんか。物語ならどんな主人公にも結末への道筋が見えるのに、自分の人生だけは先が見えない。今日は、わたしが大切にしている「ハッピーエンドを描く力」のお話を、ひとつの小さな物語から始めます。

ふたりの少女の物語

むかし、ある少女が旅の入り口で、老婆にこう告げられました。「この先で出会った人から手にしたものが、あなたの人生を変えるよ」。

少女は道中、ぼろぼろの服を着た老人を助けて、大切にされていた1冊の本を受け取ります。困っていた商人に知恵を貸して、不思議な輝きのゴブレットを譲り受けます。泣いている小さな子の探しものを見つけてあげて、かわいいブローチをもらいました。

もうひとり、別の少女がいます。同じ言葉を聞いたあと、ぼろぼろの服の老人を見て「この人は何も持っていない」と通り過ぎました。商人には「何かもらえるかもしれない」と近づいて手を貸しましたが、返ってきたのは「ありがとう」のひと言だけ。不服に思いながら歩いていくと、泣いている女の子がいて、なぜか放っておけず、自分の大事なブローチを胸につけてあげました。

物語は、外から見るとよく見える

さて、この話をどう感じましたか。
最初の少女は良い子で、あとの少女は計算高い子でしょうか。老婆の言う「人生を変えるもの」とは、何だったのでしょう。

物語を外から眺めると、人物像や伏線が自然と見えてきます。
じつはわたしは、店でお話をうかがうとき、お客様のことをこんなふうに物語の主人公として見ています。

あなたはいま、シナリオのない物語の真っ最中を生きています。
どんな結末にするか、誰の言葉を軸に生きるかは、あなたの自由です。

なぜ自分の物語だけ、そう見えないのか

物語なら、悪役も不運な出来事も「主人公が成長するためのスパイス」だと分かります。良いことばかりの話は、むしろ退屈に感じることさえあります。

それなのに自分の物語になると、つらい出来事は、ただのつらい出来事にしか見えない。

理由はシンプルです。
自分がハッピーエンドにたどり着く主人公だと、信じていないから。

結末は、つなぎ直せる

わたしなら、どうやってもハッピーエンドになる道を選びます。たとえば、さっきの物語ならこう続けます。

じつは、あとの少女のほうが先の時代の話。人をうまく信じられなかった彼女はやがて母になり、その娘が最初の少女でした。母が昔、泣いていた女の子に渡したブローチは、その子の娘の手から、巡りめぐって母の娘のもとへ返ってきた——。

本当かどうかは分かりません。でも、物語をどう読むかは自由なのです。
つらい場面を「あとで生きてくる伏線」に変えてしまう。この自由を、使わない手はありません。

想像力は、日々の中で育てられる

ハッピーエンドを描く力の正体は、想像力です。

悩みごとで頭がごちゃごちゃのまま、不満や不安ばかりを眺め続けていると、想像力は少しずつやせていきます。

気づいたら、その場から離れる行動をひとつ。
紙に書き出す、散歩に出る、誰かに話す——なんでも構いません。考える余白が戻ってくれば、想像力は日々の中で育て直せます。

まとめ——あなたの物語は、まだ途中

あなたの物語は、いいところも悪いところも含めて、まだ途中です。

今夜からの続きをどう書くかは、今日のあなたが決められます。
ページの先には、まだ書かれていない道が無限に伸びています。素敵な物語を思い描いて、おやすみください。