何かを始めたい。でも、うまくいかなかったらどうしよう——。
新しい一歩の前で足が止まるとき、思い出してほしい姿があります。象の頭を持つインドの神様、ガネーシャ。彩石屋の店頭でも長く親しまれてきた、小さな置物の話です。
始めるときに、最初に手を合わせる神様
ガネーシャはヒンドゥー教の神様で、インドではとてもポピュラーな存在です。
特徴的なのは、何かを新しく始めるとき、ほかのどの神様よりも先にガネーシャに礼拝する習慣があるとされていること。
「始まり」の場面で人が欲しいのは、結局のところ「だいじょうぶ、やってごらん」という後押しなのかもしれません。
その姿をよく見ると、4本の腕に斧・縄・お菓子を携え、残りの手のひらをこちらに開き、大きな太鼓腹をしています。
このひとつひとつに、意味が込められているといわれています。
斧——執着を断ち切る
斧は、執着を断ち切るための道具とされています。
インドの古い哲学では、苦しみは執着から生まれると考えられてきました。
新しいことを始めるとき、私たちの足を重くするのも、たいてい執着です。
「今までのやり方」「過去の失敗」「人からどう見られるか」。まず、それを下ろすところから始まる、というわけです。
縄とお菓子——目標を見据えて、楽しむ
縄は、目指すものを自分のほうへたぐり寄せるためのもの。
お菓子は、自分自身を理解すること、そして人生を楽しむことの象徴とされています。
がんばるよりも先に「楽しむ」が置かれているのが、私はとても好きです。
長く続くのは、いつだって楽しいことのほうですから。
そして、こちらに開かれた手のひらは「見守られている安心」をあらわすといわれています。
太鼓腹——良いことも悪いことも、まるごと
大きな太鼓腹は、人生に起きる良いことも悪いことも受け入れる、器の大きさをあらわすとされています。
結果の良し悪しにしがみつかず、起きたことをありのまま受け止める。
始める前から結果を心配して動けなくなりがちな私たちには、いちばん響く教えかもしれません。
まとめ——お守りは、思い出すための合図
ガネーシャ像を手元に置く意味は、願いを叶えてもらうことではなく、「執着を手放す」「楽しむ」「まるごと受け入れる」を日々思い出す合図にすることだと、私は思っています。
始めたいことがあるなら、完璧な準備がそろう日を待たなくてだいじょうぶ。
うまくいく道も回り道も、生きているかぎり、ぜんぶあなたの道としてつながっていきます。