「あの出来事があったから、今のわたしがある」。
辛い経験をバネにして、ここまで頑張ってきた。そういう方に、お店でもたくさんお会いします。
でも最近、その頑張り方が少し苦しくなっていませんか。今日は、バネにしてきた過去との付き合い方のお話です。
「なんとかしてあげたい」が行き過ぎたころ
わたしがセラピストとして歩き始めたばかりのころ、なんとかしてあげたい一心で、お客様の人生に必要以上に入り込んでしまった時期があります。
本人が頑張らないといけない領域にまで、まわりが踏み込みすぎる。
わたしはこれを「やり過ぎ」と呼んでいます。
介入しすぎると、かえってこじれる
「やり過ぎ」は、子育てにもよく見られます。
子どもが自分の言葉で話すべき場面で、先回りして「こう言いたいんだよね?」と親が言ってしまう。勉強を代わりにやってしまう。本人が頑張る機会を、善意が奪ってしまうのです。
夫婦の問題も同じです。
仲をなんとかしようと、まわりが話を聞いて賛同することが、かえってこじらせる場合があります。関わりすぎは、問題を深刻にしてしまうことがあるのです。
痛みはいつか過ぎ去る
わたし自身、小学生のころ、友達から無視をされた経験があります。
でも、わたしがそれを深刻にしなかったので、その後は何事もなかったかのように戻りました。人の気分とは不思議で複雑なものだな、と思ったのを覚えています。
「時間が経てば忘れられるほどの、軽い出来事だった」。
そう思えるのは、長い人生でいろんな経験をしたからこそ。だから「痛みはいつか過ぎ去るものだ」と覚えておくことは、とても大切です。どんな痛みも、です。
わたしにも、毎日泣いていた時期がありました。
それを忘れられたのは、安心できる場所を得て、その後の自分が幸せになれたから。逆に言えば、苦しい出来事を過去にできないのは、それを上書きできるほどの幸せを、まだ感じられていないからなのです。
辛いとき、道はふたつある
辛いとき、わたしはいつも、ふたつの選択肢があると思っています。
- - これを忘れずに、バネにして生きる
- - これを忘れられるほどの、幸せな人生を見つけにいく
結論から言うと、どちらもアリです。
忘れないことで力に変える生き方もできますし、忘れるほどの新しい人生を探すことで、まったく別の世界へ行くこともできます。
バネには「卒業」のときが来る
ただ、ひとつだけ知っておいてほしいことがあります。
初めはバネになっていたものにも、いつか「卒業」のときがやって来るのです。
卒業のときが来ているのに握りしめ続けると、それは原動力ではなく、しがみつき——執着に変わります。
気づかないうちに過去の出来事へ自分を縛りつけて、今の自分を重く、苦しくしてしまうのです。
頑張れていたはずなのに、なんだか息苦しい。
そう感じたら、それは弱くなったのではなく、卒業の合図かもしれません。
まとめ——バネを手放しても、あなたは進める
辛い経験をバネにできるのは、最初だけ。
それは悲しいことではありません。バネがなくても進める自分に育った、ということです。
あなたが弱いからしんどいのではなく、役目を終えたバネを、そっと棚に置いていい時期が来ただけ。
生きていれば、道はそこから先も、いくらでも広がっています。