母だから。妻だから。きょうだいの一番上だから。
気づけば「ちゃんとしなければ」と、自分の肩に荷物を積み上げていませんか。

今日は、お店に長く通ってくださっているお客様が、その荷物をひとつずつ下ろしていかれた道のりのお話です。

「誰も望んでいないのに」と気づいた日

そのお客様は、ご自身の歩みをこう振り返られました。

「自分で枠を決めて、そうしなくちゃいけないと思い込んでいた。誰もそんなことを望んでいないのに」

きょうだいの一番上として育ち、お母さんのことを考えて、いい子にしていたのかもしれない——とも。

「ねばならない」は、誰かに押しつけられたものとは限りません。
むしろ多くの場合、頼まれてもいないのに、自分で自分に着せてしまった鎧なのです。

鎧を脱ぐと、選ぶ石まで変わる

出会ったころのこの方は、濃い色の石がお好みで、「透明な石は嫌」とまでおっしゃっていました。
けれど何年か経った今、手元にあるのは透きとおった石たち。

ご本人は「変わったというより、受け入れたんでしょうか」と首をかしげます。
店から見ていると、それは余計な鎧をそぎ落としていく姿そのものでした。いつもどこか戦っているように見えた方が、ふっと身軽になっていく。

変わるとは、別人になることではないのかもしれません。
もともとの自分に、すこしずつ戻っていくこと。 この方を見ていると、そう思えてきます。

足るを知る——手放して見えたもの

あるときこの方は、長年身につけてきたブレスレットを10本ほど、店へ休ませにいらっしゃいました。

「もったいない気持ちはあったけれど、あのころ助けてもらった感謝のほうが勝ったので」

きっかけのひとつは、知人のお宅を訪ねたことだったそうです。物が少なく、シンプルで、それなのに満ち足りた暮らしぶり。大切なものだけに囲まれて生きる姿に、心が動いたとおっしゃっていました。

物を増やすことよりも、いま手の中にあるものを大切にすること。
「足るを知る」とは、あきらめることではなく、気持ちの面での贅沢なのだと、この方に教えていただきました。

枠の外にも、道はある

「ねばならない」の枠は、誰かに壊してもらうものではなく、気づいた人から順に、自分で脱いでいけるものです。

枠の中で頑張り続けてきたあなたなら、枠の外でも、きっとやっていけます。道はひとつではなく、これからいくらでも枝分かれしていくのですから。

今日はまず、肩の荷物をひとつだけ、下ろしてみませんか。