「手放しても手放しても、まだ出てくるんです」

お店でお話をしていたあるお客様が、笑いながらそうおっしゃいました。何年もかけて、人間関係も仕事も、しがみついていたものを少しずつ手放してきた方です。
今日はその方との会話から教わった、「道草を楽しむ人生」のお話です。

「ようやくゼロに戻れた気がする」

その方は、ご自分の現在地をこう表現されました。
「ものすごくスタート地点です」と。

ずっと前に進んでいるつもりだった。でも振り返ってみると、行ったつもりになっていただけで、本当は同じ場所をぐるぐる回っていた。何年もかけて余計なものを手放して、ようやく本当のゼロ地点に立てた気がする——。

くっついているつもりがなくても、人にはいろいろなものがくっついています。
肩書き、まわりの期待、終わったはずの関係。手放しても手放しても、まだ出てくる。それくらい、わたしたちは知らないうちに多くのものを抱えて歩いています。

空っぽになるのは、怖い

手放した先に待っていたのは、爽快感ではなく「空っぽの怖さ」だったそうです。

あんなに大事に集めてきたものが、本当の自分を満たすものではなかったと気づいたときの心細さ。
準備して手放したものと、ふいに失ったもの。どちらにしても、空っぽの時期は不安定で、しんどいものです。

でも、その空っぽは終わりではありません。
余計なものが落ちて、ようやく「本来の自分」を生かせる場所に立てた、ということでもあるのです。

同じ言葉が、違って聴こえるとき

印象的だったのは、こんなエピソードです。
その方が引き出しの整理をしていたら、何年も前にわたしと一緒にホロスコープ(出生図)から自己理解のヒントを読み解いたときのメモが出てきたそうです。

読み返してみると、同じことが書いてあるのに、当時とはまったく違って響いた。
「ふうん、そうなのか」と読み流していた言葉が、いまは「これはあのことか!」と腑に落ちる。

人は、自分が経験した分しか、言葉を受け取れません。
同じ言葉でも、立っている場所が変われば聴こえ方が変わる。それは、あなたがちゃんと歩いてきた証拠です。

道草タイプと、すぐ答えがほしいタイプ

人には、道草を楽しむのが好きなタイプと、すぐに答えがほしいタイプがあるように感じています。

その方は、ご自分のことを「めっちゃ道草タイプ」と笑っていました。
遠回りしながら、足りないものを拾い集めて、途中の風景を眺めて。道草が好きな人にしか見えない風景が、確かにあります。

もしあなたが「自分は遠回りばかりしている」と落ち込んでいるなら、こう考えてみてください。
あなたは遅れているのではなく、探すこと自体を楽しめる人生を歩いているのかもしれない、と。

まとめ——四つ葉のクローバーを探すように

たくさんのクローバーの中から、四つ葉を見つけた瞬間の嬉しさ。
道草タイプの人生は、それに似ています。

まっすぐ最短距離を行く人生も素敵です。でも、寄り道の途中にしか落ちていない小さな幸せを、ひとつずつ拾っていく人生も、同じくらい豊かです。

人は、良くも悪くも、心の底で望んでいる方へ歩いていくもの。
だったら、自分の歩き方を否定せずに、「わたしは探すのが好きなんだ」と認めてあげてください。

道は一本ではありません。道草の数だけ、あなたの人生の彩は増えていきます。