世の中が大きく揺れて、先が見えない。
そんなとき、心がすくんで動けなくなってしまうことはありませんか。
今日は、わたし自身が不安とどう向き合ってきたかという、すこし個人的なお話をさせてください。
わたしは、あえて「見る」ようにしています
不安が大きいとき、わたしの場合、不思議とこういう行動をとります。
最悪のことを想定して、自分の心を確かめる。
目をつむるのではなく、逆に目を見張るくらいの気持ちで、いま何が起こっているのかを見ようとするのです。
世の中全体が重い空気に包まれていた時期には、過去の震災の映像をあえて見直していました。
あの悲劇を忘れてはいけないという思いとともに、「わたしたちはどうすればよかったのか」を、いちばん考えていた気がします。
見えないもの、防ぎ方のわからないものへの恐怖は、目をそらすほど大きくなります。
だからこそ、まず見る。それがわたしの始め方です。
立っていられないほどの眩暈が教えてくれたこと
数年前、わたしは立っていられないほどの眩暈(めまい)に苦しんだことがあります。
あとから気づいたのは、自分の中に潜んでいた恐怖の種や、古い傷の記憶に、知らず知らずのうちにがんじがらめになっていたこと。
自分が捨てられずに、勝手に育ててきてしまったものが、こんなふうに身体に出るのかと知りました。
二週間ほど足掻いて、最後にたどり着いた結論は、「眩暈がしようが、大丈夫」。
不思議なもので、そう受け入れたら、すこし度胸がつきました。
忘れたつもりの記憶は、残っている
思った以上に脆い自分がいたり、傷ついたままの自分がいたり。
忘れてしまったつもりの記憶は、心の奥にいつまでも残っているものです。
放っておいて消えるものではないからこそ、意識して向き合うことが必要になります。
振り返れば、それまでの数年間に起きた大小さまざまな出来事が、わたしを鍛えてくれました。
世の中がどう揺れても、どっしりと立っていられる自分がいられるのは、あの経験があったからだと思っています。
その思いは、どこへ向いていますか
もうひとつ、揺るがない自分を育てるうえで鍵になると感じていることがあります。
それは、自分の思いが「自分のためだけ」に閉じていないか、ということ。
自分本位の思いは、案外もろくて、すぐに力尽きてしまいます。掴むものを探して彷徨うばかりでは、自分自身が疲れ果ててしまうのです。
その点、自分のまわりや、もっと先の誰かのためにもなっている思いは、長く保てます。
たとえば食器洗いの洗剤ひとつでも、流した先のことまで考えて選んでみる。
自分の言葉が、誰にどんな影響を与えているかを考えてみる。そのくらいの大きさで、ものごとを眺めてみてほしいのです。
まとめ——揺れる時代の、足場のつくり方
わたしもまだ経験の足りないところだらけで、知らない世界ばかりです。
それでも、不安から目をそらさず、自分の奥にある記憶と向き合い、思いを自分の外へ向けていく——この繰り返しが、揺れる時代の足場になってくれると感じています。
世の中がどう変わっても、あなたの足場はあなたの中に築けます。
そしてその足場さえあれば、ここから先の道筋は、いくらでも描き直せるのです。