「私には、これといった取り柄がないんです」
お店でお話をうかがっていると、ぽつりとこぼれるこの言葉に出会います。
資格を取っても、習いごとを始めても、どこか「これじゃない」気がして、また次を探す。気づけば自分が何をしたいのか分からない——そんな迷子のような気持ちで、毎日を過ごしていませんか。
迷子になれるのは、探すのをやめていない人
「取り柄がない」と口にする人ほど、実は探し続けています。
いろんなことに興味を持ち、やってみて、違うと感じて離れる。
その繰り返しを「飽きっぽい」「定まらない」と、自分で責めていませんか。
でも、考えてみてください。探すのをやめてしまった人は、迷子にすらなれません。
迷子になっているのは、あなたがまだ自分の人生をあきらめていない証拠です。
回り道が居場所につながった、店でのはなし
彩石屋のスタッフにも、かつて「私は誰よりも迷子だった」と笑う人がいます。
食の勉強に打ち込んだ時期があり、地元に根を下ろすつもりが、思いがけず遠くの街へ。興味の先は次々に変わり、「結局、私にあるものは何なんだろう」と探し続けていたそうです。
その人と初めて会った日、私は石の本を開いて「どの石が好き?」と聞きました。
彼女が選んだ一粒を、その場で贈ったのを覚えています。彼女はその石を、何年たっても手元に置いてくれていました。
そして巡り巡って、今は同じ店で石とともに働いています。
本人がいちばん「まさか」と驚いている——そんな辿り着き方も、あるのです。
迷子の時間に、起きていること
回り道に見える時間にも、ちゃんと意味があります。
- - 「これは違う」と分かったことが、ひとつずつ増えていく
- - 出会った人や好きだったものが、記憶のどこかに残る
- - 「これだ」と思えた瞬間に、迷わず動ける心の準備が進む
「違う」が分かることは、ただの消去法ではなく自己理解のひとつです。
白紙の地図を一枚ずつ埋めているのと同じで、埋まるほどに、自分の現在地がはっきりしていきます。
「どうやったら」を、ひとつだけ考える
もうひとつ、私自身がずっと続けている習慣をご紹介します。
「こうなりたい」と思ったら、「どうやったらそうなれるのか」をひとつだけ考えることです。
大きな計画はいりません。会いたい人がいるなら連絡してみる。気になることがあるなら、今夜すこし調べてみる。
願うだけで終わらせず、小さな「どうやったら」をひとつ動かす。その積み重ねが、思いがけないご縁を連れてきます。
まとめ——迷子のままで、歩いていい
取り柄とは、探して見つけるものというより、回り道の途中でいつのまにか手の中にあるものなのかもしれません。
今いる場所が遠回りに思えても、その一歩一歩は無駄になりません。
生きていれば、道は一本ではなく無限にあります。迷子のままで、どうぞ歩き続けてください。あなたの「まさか」の居場所は、案外すぐそこにあるかもしれません。