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【店主の部屋】店主Eriの物語*試練編~私という人格が出来上がるまで~
更新日:2020/10/23
彩石屋を始めてから、とても有難いことに、本当に良いお客様とめぐり会うことができました。
これまで彩石屋をご利用いただいたお客様や、これから利用してみようかなと思っているお客様にも、彩石屋を始めた人がどんな人物なのかを知り、
相性の良し悪しを感じていただけたら、より良い出会いをしていただけるのではないかと思い、私の思いを書かせていただくことにしました。
お時間がありましたら一読していただければと思います。
そして、彩石屋を立ち上げるまでのエピソード、店主Eriという人物をありのままお話しし、こんな人間が居るのだと、少しでもどなたかの人生に光と希望を感じていただければと思っています。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
彩石屋を立ち上げるまでの店主物語
~試練編~
アドバイザーという仕事が気づかせてくれたこと
私は彩石屋を始めるまでは、アパレルの業界で主に店頭でのアドバイザーをしていました。
生家が自営業だったということもあり、お客様と日々触れ合う仕事は私にとっては、息をすることと同じように自然なことでした。
アルバイト感覚でするお仕事のように思われてしまうかもしれませんが、販売と一言でいいましても、ただ流行りのものをお勧めするのではなく、
お客様の内面からでている魅力を引き出すためのトータルでのコーディネートをするのが役目です。
来てくださるお客様自身を彩るサポートをするのが販売のお仕事。
お客様と少し会話をするだけでも、長年の勘でその方の性格、趣味嗜好を感じ取り、この方はこんな色を素敵に着こなせるはずと、私なりのアドバイスをしてきました。
私はこの仕事を誇りに思っていましたし、毎日お客様と触れ合うことが楽しくて仕方がありませんでした。
お客様の中には私が選んだ服で素敵に変身した姿を、ちょっぴり照れながら披露しにきてくださる方や、新しい出会いがあったと恋人を連れてきてくださる方など、遠方からわざわざお越しくださる方もいらっしゃいました。
そんな素敵な職場でも、どうしてもその方のイメージに合うものがなく、こっそり、
「あのお店にきっと似合うものがあるはずですよ」 なんてお客様にお伝えすることもありました。
それでもお客様から、ここで探したいからとおっしゃっていただくこともあり、打算ではなく、本当に良いものを身につけていただきたいと思う私の思いとは裏腹に、この場でできるアドバイスの限界を感じていました。
仕事に必要ないちょっとしたおせっかいが、私の原点
私はアドバイザーという仕事を通して、おせっかいにも恋愛相談、身の上話などを聞いていました。
いつもと感じが違うと思ったら、何かあったのかな?と思い、聞かずにはいられない性格でしたし、お客様の方から「最近こんなことがあって。。」などお話くださる場合もありました。
私の方から何かメッセージを伝えられていたのかどうかは分かりませんが、
お話をした後のお客様の顔は、何か探し物が見つかったように、良い顔になっているなぁと感じていました。
今思えば、そのお礼に服を買っていかれる方もいらっしゃったのかもしれません。
次第に私が求めていることも、別の方向へむかっていっていると感じ、
長い間お世話になった会社、故郷にもお別れを告げました。
そして、私の自分探しの旅が始まりました。
私の人生で最初の試練
《私の家族の話》
思えば私は幼いころから自分というものが何者であるのか、探してさまよっていたのかもしれません。
私の家庭は決して裕福ではありませんでしたが、優しい両親、兄弟に囲まれ幸せな暮らしをしていました。
しかし母は体が弱かったものですから、起きない母を見かねて保育園まで自分で歩いて通うこともありましたし、小学校に上がってからは、自分で朝食を用意し、私が兄を起こすという日々を送っていました。
幼い私にはよく分かりませんでしたが、母は精神的にも弱い部分があったのだろうと思います。
もともと趣味や興味のあるものがなかった母は、あるとき友人に紹介された宗教にはまり、
ほぼ出家に近い状態で、家のことは蔑ろになり、いつしか母の頭の中には家庭というものがなくなってしまいました。
そんな状態が二十歳の頃まで続きました。
初めは肯定的に見ていた父も、私たちが中学に上がる頃はさすがにいい加減にするよう言いましたが、時はすでに母を元には戻してくれませんでした。
家庭内では喧嘩は絶えませんでしたが、そんな状態でも父は私たちを楽しませるということは忘れませんでした。
父の明るさ、元気は、私たちにパワーをくれましたが、母という存在は、子供にとってどれほど必要なのか、改めて感じることも多かったです。
今では子供が親を殺めるという悲しい事件も耳にすることも多くなってしまった世の中ですが、当時の私にもそんな罪を犯した少年たちと同じような感情が芽生えたこともありました。
家族をこんな思いにさせる母が心底憎いと思いました。
もともと弱い者いじめが嫌いで、正義感が強かった私は、その正義が悪を退治するような
私を歪んだ感情が支配することもありました。
言葉で人の心を動かすことができないという虚無を感じ、それならいっそと、思うこともありました。
それまで何度も母には家に帰るように言っていましたが、何も変わらずにいました。
母に目を覚まさせるつもりで意を決して話合った日のことを、今でも鮮明に思い出します。
その日の私はいつもと違い、感情的にならず、母のことを理解しようと母と向かい合いました。
話しても話しても、母の意識はどこかへいってしまっているようで、どの言葉も届いてはいませんでした。
最後は私が感情的になり母の腿をたたき、
母も私の腿を叩き、叩き合いにもなりました。
私は何も変えることができないんだと悟った日でした。
自分の無力さを知り、無情に過ぎていく時の中で、追い討ちをかけるように事件が起こりました。
父の失踪で、頼れる存在が私の中で居なくなった
ある日突然父が帰って来なくなりました。
母のこともありましたので、父が帰ってこない事にはさほど驚きませんでしたが、一週間ほどして父は帰ってきました。
血の気の失せた顔は、それだけで何かあったのだと理解することが出来ました。
父は私を呼び、こう言いました。
「友人にだまされ、借金を差負わされ、死に場所をさがしていた」
その友人は私も知っている人でしたので驚きました。
「死のうとしたけれど、おまえたちを置いて死ぬことができなかった」
ぼろぼろになり、泣きながら話す父を見て、
「お父さんが死ななくて良かった。死んだらなんにもならないよ。生きていれば何とかなるよ」
私はそう声を掛けました。
涙は一滴も出てきませんでした。
それよりも、いつそんなことがあったのかを聞き、家族なのに、いつも一緒にいたのに気付かなくてごめんね。
そんな気持ちでした。
借金を背負い、その支払いで家を売らなければいけなくなりそうな時もありましたが、
父と私の口癖は
「生きていればなんでもできる」
本当にその言葉通りでした。
父も自分の生きる選択肢を新たに見つけたようで、次第にいつもの生き生きとした父に戻りました。
お腹が痛くても、現実は変わらない
家庭環境がこんな状態でしたから、自分のことよりも家族の事が心配だった私は、自分に起こっていることに鈍くなっていました。
いつからからなのか、常にお腹の痛みがつきまとっていました。酷い時には嘔吐。
貧血でフラフラし、歩くのにも息が上がりました。
病院にも通っていましたが、原因不明といわれ、治療法が分からないまま数ヶ月が過ぎました。
あまりに症状が良くならないので、別の病院を紹介されました。
そこでの診断は、胃潰瘍でした。
そのときの私は、体重が32kg。無数に出来ていた潰瘍から血液が流れ出していたため、血液は50%ほどしかなく、重度の貧血。
医者の判断は、即入院でした。
私が15才の時でした。
私が若かったので、医者もまさか胃潰瘍だとは思わなかったのでしょう。
胃潰瘍の原因は明らかなのですが、それでも家の中は何も変わりませんでした。
高校へ入っても借金で余裕の無い生活でしたから、
アルバイトをし、学費代、昼食代、通院費、歯の治療代まで自分のお金で賄いました。
私にとっての10代はとても苦しい時期でした。
母と向き合ったことが未来の私を180度変えた
そんな長い冬の時代も明け、私も成長し、子供の頃には分からなかったいろいろなことが見えてくるようになりました。
それまで家族を苦しめてきた母を恨んでいましたが、それも止める事にしました。
結婚して、子供を産んでもおかしくない年齢になりましたので、母の気持ちが知りたくなったのです。
父の話しだけ聞いても真実は見えないと思い、いろいろな話をしました。
話を聞けば、母なりに苦しんでいたのだと分かり、いろいろなことが一本に繋がって見えました。
たとえどんな理由があるにせよ、幼い子供を放って、家族を苦しませた事実は変えられません。
親だからこうしなくてはいけない、こうであるべきだと、テレビや本で見た母という像で
感情を押し付けてしまっていた部分もあったと思います。
それが、母の居場所を無くさせてしまっていた要因のひとつでもあると思います。
なんて弱い母親なんだと思うかも知れませんが、これが私を産んだ、世界でたった一人の母です。
子供に非難を受けていた母の気持ちが、今なら分かる気がします。
この環境に育ったおかげで、人の考え、行為には必ず理由があり、表面だけを見ていたのでは本当の事は見えないのだと、気付くことができました。
たとえ傍から見ると大したことない事だとしても、それを受け止める器は人それぞれです。
それを自分の秤で量ることは出来ないのだと思います。
大人の事情を子供が気を遣うなんて悲しいことはやめて下さい。
奥様のことは、旦那さんが一番に気付いてあげてください。
もちろんその逆もです。
何か辛いことがあったからと、自分に理由をつけて逃げていても、現実は酷くなる一方です。
心を軽くするようなものが目の前に現れたとしても、それはまやかしです。
自分の心を誤魔化すものです。
いつかはその現実と向き合わなくてはいけない時が来ます。
その代償はとても大きいです。
社会は厳しく、その人の裏にある事実をゆっくりと聞いてはくれません。
私は自分なりに、現実と向き合いここまで何とか生きて来れました。
でも、アパレルの職を離れた頃、私の中での言葉に出来ない大きな変化を感じていました。
親の一件も落ち着きましたので、次の自分のステージを見つけるため、仕事を探していたとき、ふと目に付いた会社でパワーストーンと出会いました。
そこでは素晴らしい友人たちに恵まれ、今こうしてお店を出せることが出来たのも
友人たちのサポートがあったからだと思います。
人生に意味のないことは絶対に起きない
どんなに辛いことも、苦しいことも、理不尽なことも、人生に意味のないことは起きません。
物事はすべて時間軸で見たときに、その出来事の全体像が見えるからです。
私がパワーストーンを扱う会社に出会うまでの物語も、その全体像の一部分です。
これから、また人生の大きな嵐がやって来て、さらに私を翻弄し、また強くさせていきます。
あなたがこれまで生きてきた中で、耐えがたい辛いことが起こったとしても、
その先の人生をどうするかは、あなたが決めることが出来ます。
私も、この人生を悲観し、自暴自棄になり、周りの人を不幸にし、私の人生はこんなもの、
そんな結末に向かうことも出来ました。
でも、私はそうしたくありませんでした。
意地でも、幸せになりたいと思いました。
そして、幸せになる方法は、いくらでもあるのだと、知ったのです。
本を探してもどこにも書いてない、誰かに聞いても誰も答えを持っていない、
そんな宝のような気づきを、この人生の経験を通して得ることが出来ました。
どんな嵐にも吹き飛ばされない心と、どんな人生も自分の思い通りに出来るんだという、確信が私にはあります。
そして、この体験が、同じように苦しむ方のためにあったのだと、私はそんなゴールを描きながら、自分と向き合い、どのようにしたら人生を変えられるのかを、私自身に刻んできました。
それを、彩石屋を通して、お伝えしたいと思い、今日までやってまいりました。
こんな生き方をしている人間がここにいるのだと知って、私とお話しすることで、心強く、人生に希望を持って生きていただければと思っています。
店主Eriの物語は、まだまだ序章です。
近いうちに、続きをお届けできればと思います。
こんな大変な時代ですが、いつでも希望を持って、人生はいかようにも変えられるのだと強く信じて、生きてください。
助けを求めれば、助けてくれる人は必ずいます。
私が出来なかったように、体が壊れる前に、助けを求めてください。
こんな時代だからこそ、良い人と繋がってください。
出会う人、傍に居てほしい人を選んでください。
人を憎まず、人を赦し、優しく生きてください。
そうすれば、あなたの元には素晴らしい人たちが集まってきます。
私がその証明になれるよう、私も頑張ります。
では、彩石屋でお会いしましょう。
- Eri
彩石屋店主です。アパレルのアドバイザー、メーカー企画、営業を経て「彩石屋」を立ち上げる。パワーストーンを通してのカウンセリングは延べ5000人を越える。特技は選んだ石で心を読むこと。 悩みを根本から変えることを目指しています。顧客は小学生から70代と幅広く様々なお悩みにお答えしています。 趣味は一人旅、読書、釣り。 好きな天然石はカヤナイト、水晶
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